京都地方裁判所 昭和45年(ワ)1418号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一、まず原告がその主張の交通事故により負傷した事実があつたかどうかについて考える。
<証拠>によれば、昭和四四年三月二〇日午後一時二〇分ごろ京都市東山区白川橋東二丁目西町一四八番地先の交差点において、横断歩道手前で停車中の原告運転の軽四輪乗用自動車の右後部に、時速一〇ないし一五キロメートルで追従していた訴外永田清人運転の被告京都市所有のバス(大型乗合自動車)が追突接触し、原告は右肩の凝りを訴え、当日通院加療五日間を要する頸椎捻挫、腰痛症と診断されたことが、また<証拠>をあわせると昭和四四年四月三〇日午後九時四五分ごろ同市南区吉祥院新田三の段町一附近において路上の障害物の手前で停車中の原告運転訴外岡本豊子同乗の軽四輪乗用自動車の後部に、被告福井秀明運転の普通貨物自動車が追突し、原告は首の痛みを訴え、当日頸部挫傷により三週間の加療を要すると診断されたことがそれぞれ認められる。これに反する証拠は全くない。
二、そうすると被告京都市が右昭和四四年三月二〇日発生した交通事故(以下第一事故という)について、その加害自動車の運行供用者であること、また被告福井嘉寿は同年四月三〇日発生した交通事故(以下第二事故という)について同じくその加害自動車の運行供用者であること並びに第二事故が被告福井秀明の運転上の過失に基いて生じたものであることは、いずれも各当事者間に争いがないから、同被告らは右各事故によつて原告に生じた損害を賠償すべき義務があること多言を要しない。
三、そこで原告の損害について考える。
<証拠>をあわせるとつぎの事実を認めることができる。
すなわち原告は第一事故においては市バスの左前バンバーが原告車の右後部側面に接触したので加害車に破損なく、原告車に擦過痕をとどめたのみで当座は全く身体の異状を感じなかつたが夕刻ごろから肩のこりなどを訴えて受診し、六日後から同市南区所在大森病院に一六日間入院したが、その主たる症状としては頭重感、頸部神経痛などであつて、レントゲン写真にも特記事項が見られなかつたが引きつづき宇治市所在の保田整形外科診療所におおむね隔日の割で通院中ようやく軽快して特別装置付の軽乗用車で通勤通院するようになつたところ第二事放に遭遇したのであるが、もし第二事故がなかつたならば、おおむね二、三ケ月で治療したと認められる病状であつたこと、第二事放では加害車は時速二五ないし三〇キロメートルで進行中ブレーキをかけたが追突したものであつて、加害車、原告車とも小破しており、原告のみならず同乗していたその妻訴外岡本豊子も通院加療七日間を要すると認められた頸部挫傷を負つていること、原告は第二事故直後京都市下京区所在山上病院で診療を受けたが項部強直、頭痛などを訴えており、レントゲン写真では第四頸椎に若干の異常が認められ、同事放の一週間後から同市右京区所在五条病院に四五日間入院したがその病名は頸部捻挫、腰痛症、背髄逸出症であり、項部の疼痛のほか特に腰部の痛みを訴え、レントゲン写真では第五ないし第七頸椎間狭少、ずれ及び腰椎背逸出などが認められたこと、その後引きつづき前記保田整形外科に通院中、同年七月二日おおむね事故直前の状況に復したとして第一事故を起因とする傷病の治療に切りかえ労働者災害補償保険法の適用を受けるようになつたこと、また同年一一月三〇日には頭重、項部痛、右上肢倦怠感などの症状が固定した旨診断され、翌四五年一月九日から復職したが、その業務内容は従来の集金係から自動車整備係に変更され、洗車、タイヤ交換などそもそも左上下肢に機能障害を有する原告にとつて無理と思われるような仕事に従事しなければならなくなり、同月二六日勤務中突然項部の激痛を訴え救急車で病院に運ばれるなどのことがあつて以後欠勤を続けていること、以上の事実が認められ、これに反する証拠は全くない。
そうして見ると第一事故による原告の傷害は比較的軽く、昭和四四年七月末ごろには治癒すべき筈であつたのであつて、第二事故後の診療はその全期間を通じ主として第二事故に起因する傷病に対するものであり、単に第一事故が原告勤務中に発生した災害であつて労働者災害補償保険法の対象となるのに反し、第二事故が私用中のそれであつて同法適用の対象とならないため、同年七月初以降第一事故の治療を名目としたというに止まり、それらの診療も同年一一月二〇日ごろには殆ど必要がなくなつたものであつて、昭和四五年一月二六日の発病は本件第一、第二事故の影響というよりも、従来からの身体虚弱な原告が過重な労働を強いられた結果であると推認せざるを得ない。
四、して見ると原告の本件請求中、昭和四五年二月以降の逸失利益の填補を求める部分は、それが被告らの不法行為の結果であるとの前提を欠くこととなり失当たること明らかであつて棄却を免れないものである。
五、そうして前記認定によれば第一事故による傷害は昭和四四年七月末日には治癒すべきであつたというのであるから、被告京都市はこれを超えてその後に発生した損害につき賠償の責任のないこというまでもない。
原告はこれについて共同不法行為であるから行為者全員が損害額全部につき賠償の責に任ずべきであると主張するが、本件は時と所を異にする別個独立の不法行為が、たまたま同一の被害者を対象として発生したというにすぎず、何ら行為の共同があつたわけではないから民法七一九条の適用のないことは当然であつて、被告らは各自の不法行為の結果についてのみ責任を負うものと解するを相当とする。
原告の右主張は採用のかぎりではない。
そこで被告らの賠償責任の競合する昭和四四年四月三〇日から同年七月末日までの原告の損害について考えて見ると、その事故発生の状況、直後の原告らの症状などを考えれば、その賠償責任分担の割合は被告京都市が四、被告福井両名のそれを六と認めるのが相当である。
六、そうして原告請求の慰藉料の額については、第二事故発生までの精神的苦痛に対しては金一二万円、昭和四四年四月三〇日から同年七月末日までのそれに対しては金二五万円、それ以後の分については若干の後遺症の存在することもうかがわれるので金三五万円を以て相当と認める。
七、従つて被告京都市は右慰藉料金一二万円と金二五万円の一〇分の四の合計金二二万円を、被告福井両名は同じく金二五万円の一〇分の六と金三五万円の合計金五〇万円を原告に対して賠償すべき義務があることとなる。 (富川秀秋)